Sorry a bootleg optical は、現在準備中です。

“SORRY A BOOTLEG OPTICAL” is not eyewear.

1. 「高品質で“STUSSYくらいの値段”をやりたかった」

──まず、SORRY A BOOTLEG OPTICALを始めたきっかけを教えてください。
なぜ“眼鏡”というフォーマットを選んだのでしょう?

CHAB:
最初はほんと遊びだったんだよ。
オモチャみたいなサングラスをひたすら染めて──それがやたら売れて、大儲けした(笑)。
で、その利益を全部、鯖江の生産にぶち込んだ。

当時、4万円以上する眼鏡が当たり前の時代でさ。
でも俺の感覚だと、“昔のSTUSSYくらいの値段じゃないと気軽に買えない”って思ったんだ。
高品質で、でも“ストリートの値段”で。
その矛盾みたいなバランスに挑戦したのが、SORRY A BOOTLEG OPTICALの始まりだった。

2. 「閉ざされた町に、キャッシュと実績を持って入っていった」

──なるほど。高品質とストリートプライスの両立、そこにSORRYらしさがありますね。
では、鯖江でのものづくりはどんな出会いから始まったんですか?
最初に現場に立ったとき、何を感じました?

CHAB:
俺は元々、商社にいてさ。モノの生産についてはある程度の予備知識があった。
だから国内で眼鏡をやるなら「鯖江しかない」ってことはすぐに分かった。
同時に、あそこがどれだけ“閉ざされた世界”かも分かったんだよ。

だから最初は、まず現金と実績を作るところから始めた。
いきなり理想を語っても誰も相手にしてくれない世界だから。
最初の作品は、あえて眼鏡業界のセオリーに則って信頼を積み上げた。

ちょうどコロナの時期で、鯖江全体にも仕事が少なかった。
そのタイミングで「なんか変なやつがいるけど、まぁやらせてみるか」って感じで、
俺みたいな異物を受け入れてくれたんだ。
今思えば、運が良かった。

3. 「THE CLASHが2枚組を出した理由と同じなんだ」

──「ラグジュアリーではない」という思想は、どこから来たんでしょう?

CHAB:
今の物販のルールに則ると、どうしても値段を上げざるを得ない。
で、セールで一瞬にして消費されていく。
そのループには入りたくなかった。

だから俺は“自分で作って、自分で売る”。
適正な価格で、必要なぶんだけを、必要な人に届ける。
それが一番誠実だと思った。

これは、THE CLASHが2枚組を通常価格で出した理由と同じなんだよ。
「みんなが手に取れるようにしたかった」っていう、あの精神。
高級品でも、大衆向けでもない──DIYの良心を通したかった。

4. 「俺の原点は、親父の“カルトDIY基地”にあるんだと思う」

──SORRY A BOOTLEG OPTICALのフレームには、Tom Sachs的な“作業の痕跡”が見えます。
その“完璧ではない美しさ”について、どう考えていますか?

CHAB:
俺はTom Sachsの大ファンだし、音楽でもLo-Fiなものが大好き。
いわゆる“Beautiful Losers”世代ってやつ。

根っこはたぶん実家にあると思う。
親父がカルト的なDIY好きでさ。
車庫も小屋も自分で建てて、もう半分基地みたいなんだよ(笑)。
その影響が大きい。

その「手で作る」っていう感覚が、俺の場合はアートの方向に向いただけ。
結局、やってることは親父と変わらないんだ。

5. 「クソなイベントのフライヤーじゃない。最後まで自分の美学でやりたい」

──SORRY A BOOTLEG OPTICALでは、パッケージやマニュアルまでが“作品”になっています。
構造そのものをデザインしている印象ですが、それは最初から意識していましたか?

CHAB:
モノ作りで一番の醍醐味は、そこなんだよ。
俺がグラフィックデザイナーだからってのもあるけど、
「自分が作ったものをどう見せるか」──そこまで含めて作品だと思ってる。

にもかかわらず、そこを人に丸投げする奴らが多すぎる。
もう信じられないね。
自分のやることには最後まで責任を持つべきだよ。
クソみたいなイベントのフライヤーじゃないんだから。
自分の美学を、最初から最後まで貫き通す。
それが当たり前のこと。

まぁ、そういう“できない奴ら”から金を巻き上げるのが、
商業デザイナーとしての俺の仕事でもあるけどね(笑)。

6. 「20年前と何も変わってない。ただ、やっと自覚して作れるようになっただけ」

──“7.0”まで進化してきたSORRY A BOOTLEG OPTICALですが、
これから先、どんなものを作りたいですか?
また、“次の世代”に何を残したいと思っていますか?

CHAB:
“進化”っていう感じじゃないんだよね。
ちゃんと自覚して作れるようになったのが、たぶん5.0くらいから。
俺は要領が良くないから、ここまで来てやっと分かってきた気がする。

いま“8.0”を作ってる最中なんだけど、
こうやってHPを作ることになって振り返ってみても、
「特に変わってないな」と思って安心した。

20年以上前にノイズのCDを作ってた頃と、根っこは全然変わってない。
多少評価されただけで、今でも同じ。
「みんなをビビらせてやろう」と思って作ってるだけ。

次の世代に? そんなこと考えたこともないよ。
でも、**“続けてりゃどうにかなる”**っていう姿は見せたいね。
俺のこと知ってる奴らは、
「まさかあのクズが」って思ってるだろうけど(笑)、
同時に、「でも昔からずっと変なモノ作ってたよな」とも思ってるはず。
それでいいと思ってる。